昔のドラマ

期末テストがあって、午前中で帰ってこれたから、「恋ノチカラ」ってドラマをしばし見てたのです(え?勉強は?とか言わないで汗)それでとてつもない疑問を感じてるんです。

まず私の事から話しましょう。私は小さい頃からピアニストになるのが夢でした。それが実現できると、小さい頃は信じていました。でもね、がんばって、どれだけがんばってピアノ練習しても、手が小さいんですね・・手が小さいってのは、かなり致命的です。お風呂で一生懸命手を伸ばしても、そうこう効果はありません。でもそれ以上に、それほど才能はなかった・・でも、その事に別に落ち込むとかはありませんでした。そんな、選ばれた人に自分がなれるなんてそりゃやっぱ無理でしょう。

そして私は結構歴史や美術も好きです。だから、今は学芸員になることを目指してます。それも、かなり狭い夢だと思いますが、それでも、そっちの可能性はなくはない・・って思ってます。ダメなら教員でもピアノの先生でもなんでもいいよ・・でも今の私の夢は「学芸員になること」です。

話をもどして「恋ノチカラ」ですが、最初の頃は楽しく見てました。これは、才能あるコピーライター?職種はよくわからないけど、要は、「宣伝広告」を作る人ね。その人が、大手企業から独立して、他3名を引き抜きして、奮闘するって話なんだけど、何か納得出来ない。例えば、独立したその会社は、圧力をかけられて、経営困難なんですよ。それなのに、その雰囲気は、「嫌な仕事は引き受けない、自分を生かせる仕事しかやんない」そういう雰囲気なんですよね。営業の人が、賢明に取ってきた1年契約の仕事も、「依頼者の社長の意見があまりにわがままで、合わない。ウチのクリエイティブをバカにするな、こっちからお断りする」と蹴っちゃうしね。でもプロなら、依頼者の意志にそぐった仕事をするってもんでない?

それでやっていけるの?凄い疑問を感じてしまうのですよ。著名なピアニストだって、恐らく弾きたくない、ポピュラーな曲だって弾くんですよ。今も歴史上に残ってる画家は、たぶん、描きたくもない王室の画像を描いた訳ですよ。モーツァルトだってベートーベンだって、パトロンのためには、何でもしたんだよ。本当に、自分の意志を貫いて好きな事しかしないってのは、凄いリスクを伴い、それが許されるのはたぶん、いないんでないかと私は思う。ゴッホは、ああなってしまった。彼は生前認められることはなかった。

特に才能はない私ですが、現実的に例えば私が学芸員になったとして、自分の理想のマイナーな展示会が、いったいどれだけ企画できますか?

まあドラマだしここまで力入れて否定するのもなんですけど・・しかも、かなり昔のドラマですしね(汗)でも、ちょっと言ってみたかったのです(笑)