日本語について

試合後のインタビュー、今回はまぁまぁ良い感じだったでわないか(笑)改めてヒデさんの凄さを感じたわ☆

その数日前のヒデメール「日本語の文化」の冒頭で、ヒデさん、こうおっしゃっていました。

『日本語には、主語を言わない文化、すべてを言い切らない文化、というものが存在する。これは日本語文化の素晴らしいものの1つだと思う。すべてを伝えなくてもそこには共通認識があり、“阿吽の呼吸”のようにお互いが理解しあえる。これは俺が知りえる限りでは、他の言語ではほとんど存在しない。』

多くの言語というのは、恐らく「話者が聞き手にわかりやすく話す」事が基本であるから、主語を省くことはあり得ない事であり、主語の後に動詞が来る事も、明確に相手に伝えるという事が何より大切であるからなのでしょう。

後、より明確に伝えるために、英語等には日本語にはない、「定冠詞、不定冠詞」ってモノがありますよね。日本語には無いため、どうしても日本人には馴染みにくいモノだと思います。

「今日、凄く綺麗なコスモスを見つけたの」

と話者が言ったとします。聞き手はその状況を想像する時に、当然、常識的に主語は「話をしている本人」だと思いますよね。そして恐らくですが、コスモスというのはぽつんと一本だけで咲いてるというのは、想像しずらく、恐らく群生していると推測するんじゃないかと思うんですね。コスモスを知らない人なら、ぽつんと一本何かしらの綺麗な花が咲いてたのかな?と思うかもしれません。その後、この話題をお互いが展開したいと思い、話を進めていくうちに、それが複数だったのか、一本だけだったのか、複数ある中のどれかしらの1本が際だって綺麗だったのか、見つけたというのは、偶然見たのか、それともわざわざ探して見つけ当てたのか、等と言うことを聞き手は理解していくと言うのが日本語の特徴なのだと思います。

でも定冠詞、不定冠詞がある言語では、最初の発言でそれらを明確に表さなければならないんですよね

「私は今日、凄く綺麗な群生しているコスモスたちを、わざわざ自分の意志で探して見つけることができたの」
とか
「私は今日、偶然コスモスたちが群生している空き地を見つけたんだけど、そこに一際まばゆいばかりに輝く凄く綺麗な唯一一本のコスモスを発見したの」
とか
「私は今日、花屋さんに行ったら、凄く綺麗なコスモスを一つ見つけたわ」
といったように、定冠詞や不定冠詞を使うことで、とても明確に相手に伝わる事になります。でも日本人的には、こう言われたら確かにわかりやすいけれど、なにか、くどいような、押しつけがましいような言い方をしているように感じてしまいますよね。むしろ
「今日凄く綺麗なコスモスを見つけたの」
と言っておいて、相手がこの会話に興味を示してくれるかどうかを伺いながら、徐々に話を展開させて行きます。しかし最初の地点で相手が興味を示さなければ、それを察して話はそこで終わってしまいます。だからいったいそのコスモスがどういう状態だったのかはわからずじまいですが、相手が興味を示さないのだから、それがどうであろうと、お互いどうでもよかった事として片づけられます。といったように、曖昧にする事により、柔らかく互いに不快感を与えないように会話をしていくのが、日本語的なのだと思います。

だからといって、省いて良い場合と悪い場合というのもあります。ごく親しい間柄なら、それこそあうんの呼吸で相手が意としてることを理解できるでしょうし、目上の人や、初めての人に対しては、それこそきちんと主語から話さなければならないでしょう。

凄く極端な話になりますが、ある平日の朝、いきなりメールが届いたんです。面識はあるけどそれほど親しいという訳でもなかった中学校の同級生からだったんですが
いきなり

「うぜぇ〜!」

とだけ。これでは、何がうぜぇ〜のかさっぱりわかりませんが、一応いろいろ憶測を立ててみたりする訳ですよね。あの子は、確かこんな性格だったから・・とか、アニメが好きだったから・・等思い出しながら、いったい何がうぜぇ〜のかを考えてみるんですが、まあ解る訳もないので、一応メールを返信したんです。

「何がうざいの?」

と。ここで私が「何がうぜぇ〜の?」と「うぜぇ〜」という言葉を使うよりも「うざい」にした方が、私が少々いらだっていると言う事を感じ取ってくれるんじゃないか、という意味をこめて「うざいの?」と送る訳です。まあ、無視するというのも選択肢の中にはあったんですがね。

そうしたら、
「え〜見てないの?TV〜○○ってうざくねぇ?」

朝見るTVなんて、人それぞれ違いますし、そもそも朝なんて、学生なら一番忙しい時間帯です。そして何よりそんな仲がよかった子でもない訳ですよ。それがいきなり「うぜぇ〜」で次にきたメールがこれです。非常識甚だしいといった感じですよね。結局私も「見てない」とだけ送って、その次に来たのは無視したんですがね。

極端な例というか、ココまで来るとバカとしか言えないんですが、日本語は、曖昧な言葉であるが故、上手に使わなければ誤解を招くことにもなりかねませんし、相手や状況にあわせて自然と気配りをするのを強いられてる言語でないかと思うんですね。