ナショナリズム

私の掲示板にこういうコメントをもらい、ちょっと考えさせられました。

〜試合前の国歌斉唱について思う〜
 代表戦の試合前にはお約束の国歌斉唱というセレモニーがあります。国を代表して戦う選手はまさにナショナリズムの渦中にあります。現日本代表選手ではサントス選手の声が、放送局のマイクに声を拾ってしまうほど大きい声で歌っていると思えば、口さえ動かさない選手もいます。誤解しないでほしいのはサントス選手が正しくて、歌わない選手が間違ってる訳ではありません。口は動かさなくとも心では歌っているはずです。君が代を聞きながら精神を統一して試合に向けて集中力を高め「よしっ!やってやるぞ」と勇気を奮い立たせ、試合に臨む選手は実に誇らしく思います。
 最近では国歌斉唱をしない学校もありますが、それはそれで構わないと思います。学校行事にナショナリズムは存在しないし、意義も感じないですし。
 個人的に一つだけ言えるのが、スポーツ(サッカーやモータースポーツ)のセレモニーで流れる君が代を聞くと胸が熱くなります。海外に住んでた時代も日の丸を目にする度に日本人であることを改めて意識したものです

ナショナリズムというのは、とてもデリケートな言葉です。私も人生の3分の1くらい(大げさな表現だな)台湾に住んでいたので、思うことは色々あります。あってあって書けないほど。いや、事実は書けても、自分の中で、まだ、それがいったい、「どういうものなのか」その事実をふまえて、いったい、「お前は(私自身は)何を述べたいのか?」というのが、できてない。

ただ、一つ思うことは、おおよそどこの国でも、国歌なんてものは、戦争の歌だったりするもの。「君が代」が天皇を神だと拝め・「日の丸」もその象徴だから、それは認めないという意見もあるんだろうけど、それは別に「過去にそういう歴史があった」というだけの事で、今現在、そう思っている人なんていないワケで、「日本の長い歴史の中で、天皇は神だと拝められていた事を、単に表している歌であり国旗である」それは事実なんだから、単に「歴史」として捉えたらいいと思うんだな。歴史というのは、ナショナリティを打ち出すのには、とても重要なモノでしょう?アメリカなんて、あんな短い歴史しかないから、学生は、初代大統領から現在まで覚えさせられるワケで。

新たに「国歌」とか「国旗」を作るなんて、ナンセンス、新しく出来た国とか、どっかから独立した国じゃないんだから。そりゃ、西洋音楽が主流の今、ヨーロッパの国歌を聴くと、なんか、素敵に思えるけど、国歌なんてのは、そういうモノじゃあない。「歴史と伝統」ある国なら、やはりそれを誇りに思うべきだと思うんだな。要は、「国歌斉唱」をするように言われた歌手なりタレントが、「しっかり歌わなければ」と思える歌でなければならない。と思う。だとしたら、やはり「君が代」がいいのではない?国旗に関しても、「日の丸」は、正直、とても親しみがある。「日の丸弁当」なんて言葉もあるくらい、浸透しているのに、なんで、それを否定する?いいじゃない、これで。これをちゃんと認めようよ、とそう思う。第二次世界大戦をへて、天皇に恨みをもっている人もいるでしょう。若者とかは「ダサっ」とか言うのかもしれへん。でも、第二次大戦のことは、誰しもが知っている。もちろん、それすら、「歴史」にしてしまったら、いけないのかもしれない。今現在苦しんでいる人がいるんだから。だけど、そう言うことも全て含めて、我が国の国歌が「君が代」であり、国旗が「日の丸」であることを、なんだろう、普通に誇りに思えるような、そうなってほしいと思う。別に私は、右翼でもなんでもないよ。だけど、この世に「国際試合」なるものが存在するのならば、やはり、日本は「君が代」であり、「日の丸」だと思うんだ。

この話は、また違うんだけど、いつだったか、たまたま目にしたんだけど、小学校の卒業式で、「君が代斉唱」を拒んだ児童たちが、校長先生や、教頭先生を罵倒している記事を見つけた。でも、小学生ですよ。これは、間違いなく、他の教師が、子供たちを洗脳したんだと思うんだな。もちろん、これは憶測だけど、それは、大人がすることかな?と思う。

中国のデモをしている学生たちは、本当にナショナリズムでしてるんかな?でなかったら、ただ、おもしろおかしくしてやってるんだとしたら、それこそ、国に泥を塗っていると思うな。しかも、国がそれを、支持しているんだか、黙認しているとしたらその国もなんだな。
私は、ひたすら、この4月から上海へ行った友達の事が気がかりでならない。