偉大は偉大だとやっぱり思う

タイトルを「サッカー」にしていかなるものかと思わなくもない内容なんですが、突然ですが私はダービッツは好きだ。大好きな選手だ。なぜかと言うと私を感動させてくれた選手だからだ。私生活なんて関係ない。関係ないって私を思わせるほどの選手だと思っている。私にとって好きな選手は沢山いる、でも、偉大と思う選手はそう沢山でもない。その中でダービッツは私の中では偉大な選手になっている。もちろん、バッジョ、ゾラ、ジダンフィーゴデルピエロ・・ダービッツだってその中の独りなんですね。

確かに人間としてして決してしてはいけないことがあるのはわかる。人間として、してはいけなかった事をした人を「偉大」と言えないならたぶんマラドーナだって「偉大」とはいえないでしょう。だからといって、彼らが為し得た事が無になってしまうことはないと、私は思ってしまう。

アマデウス」という映画があるのですが、あれはその名の通りモーツァルトを題材した映画ですが、モーツァルトは天才、でも私生活はとんでもなく乱れていた。人間的にもとても尊敬に値するとは言えないひとだった(たぶん、実際そうだったと思う)結局、アマデウスモーツァルト)は、計られて暗殺させられてしまうのですね。そこに一枚からんでいるのが。「サリエリ」という、やはり当時人気だった作曲家。アマデウスの才能に常に嫉妬をしていた人。

アマデウスは35才くらい?(もっと若かったかしら)で死ぬのですが、残ったサリエリは、時がたてばたつごとに、アマデウスは、モーツァルトとしてその名を残していくにもかかわらず、自分は忘れ去られている事に気がついていくんですね。

そしてモーツァルトの音楽は今も親しまれている・・・この先ずっと残っていく、私たち一般人は忘れ去られてもモーツァルトの名前はたぶん、残っていくにちがいない。

それと同じように、行いが悪くても偉大な選手はその名を残していくと思う。(まぁ、ダービッツが残るかは疑問ですが笑)